「何を聞かれても大丈夫なようにノートを作り完璧に準備して臨んだ」
兄は三重大、妹は弘前大、兄妹で『多磨ヨビ』で合格。母「親密に話も聞いてくれるし、二人とも大人数は合わない。ここしかないと思って決めました」。山中君とお母様との対談を全文紹介します。
多磨ヨビ卒業生の山中君とお母様、倉田講師、小村代表
小村「はい、こんにちは。」
一同「こんにちは。」
小村「今日はうれしいことに、今回合格した山中さんのお兄さんで2016年のゴールデンウィーク以来5年半ぶりに山中くん、それからお母様にお越しいただきました。もう5年半ぶりの再開、とてもうれしいです。今日はよろしくお願いします。」
山中・母「よろしくお願いします。」
小村「大学に入ってから5年半も経って来てくれるってのは、これはもう本当に嬉しいことなので、山中くんのほうからお話を伺いたいと思うんです。」
山中「はい。」
小村「5年半前はね、お母様と妹さんにお越しいただきました。そのときは、三重大学に合格が決まった山中くんではなくて、妹さん。妹さんはまだ小学生でしたよね?」
母「そうですね。」
小村「小学生の妹さんが来てくれた、だから“ちゃん”付けで呼んでいたんですけれども。たまたまスケジュールがあわなくて、山中くんは来ていただけなかったんですが、今日はせっかく来てくださったので、山中くんの受験時代の思い出、それから大学生活、それからこの後の進路、そのへんから伺いたいなと思うんですね。
山中「はい。」
小村「山中くんは2016年の春に三重大学に合格・進学したわけなんですけども、本校に入ったのは、さらに当然それより前になります。学年、覚えていますか?高校3年生だったかな?2年だったかな?」
山中「2年…あれ?2年だったかな?」
母「3…2年?」
小村「そうですよね。昔のことだから、パッと出ないですよね。だと思います。じゃあ、もう本当に6年以上もおそらく前のことなので、思い出している、今思いつくこと。たとえば、「水島先生の授業がおもしろかった」とか、「小手川先生の親父ギャグがつまんねーと思った」とか、なんでもいいです。なにか思い出すこと教えてもらえますか?入学当時、『多磨高等予備校』に通っていたときのこと。
山中「印象に残っている授業は、生物と国語の授業で。」
小村「生物と国語?」
山中「はい。」
小村「生物は高橋ですか?」
山中「そうですね。高橋先生。生物のほうは、少人数制でとても熱心に、生物の記述対策とかセンター試験対策とかを教えていただいて、まあ無事センター試験で最高得点を。」
小村「最高得点。何点くらい取れた?」
山中「80点なんですけど。」
小村「生物80点とれたんだ。よかったですね。」
山中「はい。80点取れたことが印象的でしたね。」
小村「印象的だったんだね。あと国語って言ってくれたけれども、前の対談のね、文字起こしを読んでいたら、現代文が苦手だから本校を受けてくれた、本校を考えてくれたっていうことなんだけども、理系だけど現代文が苦手だったんですね。」
山中「そうですね。現代文は苦手でした。」
小村「まあ、理系だから、と言っていいのかな。」
山中「はい(笑)。」
小村「そのへんの思い出、教えてもらえますか?」
山中「はい。ここに来るまでは、現代文がとても苦手で。学校の授業とかは、ほとんど聞いていないし、聞く耳を持たない状態だったんですけど。ここに来てからは、現代文を理系の脳で捉えるというか。方法さえ捉えれば、文系のように思考を持たなくても、何も考えずに…。」
小村「公式的に、かな?」
山中「そうですね。公式的に解けるという方法を教わって。」
小村「長島ですか?」
山中「…。」
小村「先生の名前は、覚えていないですか?」
山中「そうですね、覚えていないです。メガネかけていて…。」
倉田「長島先生でしょう。」
小村「だと思いますね。この顔、思い出しませんか?」
山中「あ!そうですね。」
小村「ああ、長島だ。」
山中「顔は印象的だったんですけど。」
小村「ああ、そうだったんですか。」
山中「それで、まあ公式的に現代文を捉えることによって苦手意識がどんどん薄れていって。」
小村「現代文をね、公式的に捉えることによって苦手意識が薄れていった。」
山中「それと同時に一緒に 漢文も受けていたんですけど…。」
小村「漢文は小手川ですか?」
山中「そうですね。それで漢文も現代文と同様に苦手意識を持っていたんですけど、だんだん楽しいと思えるようになってきて、それで授業をサボらずに継続的に受けることができて、自分の自信もついていって、最終的にセンター試験の頃には、現代文・漢文が、自分が得意教科と言えるぐらいまで自信がついて。で、結果も同様に出すことができたので、そこは印象的でした。」
小村「なるほどね。まあ理科系の生徒さんからね、国語の話が出るとは思わなかったですけれど。たしかに5年半前の対談を見ると、「水島先生から、まずは苦手な現代文からと言われ、諦めず勉強し続けたら最後にグッと伸びたんですよ」ってお母様が言われたのが残っています。なるほどその通りですね。現代文は確かにセンターでは、当時のセンターでは、現代文っていうか国語全体で200点、現代文だけでも100点ありますもんね。評論50点、小説50点。それに対して生物は、確かに上がったかもしれないけど、センターでは100点しかありませんもんね。国語200対生物100という比重では確かにあったですよね。ということはあの、三重大学合格にあたっても、センターの成績っていうのは、大きかったんじゃないですか?」
山中「そうですね。大きかったと思います。」
小村「なるほど。一般入試の方は、三重大学はどうでしたか?」
山中「一般入試は…二次試験ですよね? たしか生物と数学だけでいけて、レベルはそこまで高くなくて。確認とか採点はしてないんですけど、おそらく9割ぐらい取れていたかなという感覚でした。まあ生物の方は二次試験対策もバッチリやっていたので、迷うことなく書くことは、回答することができて。時間が余っていたような気がしますね。」
小村「国立はね、記述が多いですから、生物を二次試験で記述問題を得点できたんですね。数学と生物。数学はどうでした?」
山中「数学は関数の問題が出ていたんですけれど、レベルは学校の方が高くて、あんまり印象に残っていないですね。」
小村「よくできたと言う印象なんですね。」
山中「はい。」
小村「なるほど、よくわかりました。まあね、6年以上前のことを思い出すっていうのは、結構大変なことだったと思うんですけれども。今日はある意味主役が不在というか(笑)、山中さんのおうちはちょっと特殊で、お兄ちゃんの合格のときにはこの対談に妹さんが来てくれて、お母様とですね。今日、弘前大学に合格・進学する妹さんの合格の対談では、ちょっとスケジュールで来られなくて、お母様とお兄様が来てくれたという、ちょっと特殊な対談にはなっています。でも同じお母様にこういう場で二度会えるってのは…、私たぶん初めてなんです。」
母「あ、そうなんですか?」
小村「はい。だから、とてもうれしいし、山中くんの顔も本当に久しぶりに見ることができて、その意味でもうれしく思っています、はい。それじゃあ、今日の合格のある面、私たちが念頭に置いていたのは、妹さんの、弘前大学農業生命科学部職業資源学科に合格した話なんです。で、彼女の指導は、隣におります倉田がさせていただいたので。倉田さんじゃあ、妹さんの推薦指導の思い出を、お母様と語っていただけますでしょうか?」
倉田「まあ、ご本人いないので、あれなんですけど…。おうちの中でですね、弘前大を一般入試、もちろんそれも念頭にはあったと思うんですけれども、一般入試以外の入試方法で受けるっていうのは、いつ頃から話に上がっていましたか?」
母「夏休み…始まるぐらいですので、7月ですね。」
倉田「じゃあ決めてすぐに、なんか、推薦対策を取っていただいたみたいな感じ…。」
母「そうです、そうです。」
倉田「なるほどね。それを聞いてどう思いましたか? って言うのも変なんですけど…。」
母「本人に合っているのは、文章を書くのが得意と見えるっていうふうに、まあ学校の先生からも言われて。私自身もそう思ったので、挑戦してみようかなっていう感じですね。」
倉田「はい。まぁ実際にあの、面接の方の対策とかさせていただいて、志望理由とかいろいろ伺っていくなかで、志望理由・将来進みたい道っていうのが結構はっきりと決まっていたので、まあそこはもう全然問題ないな、と思いまして。あとはそれをどのように伝えるかっていうことなので。実際あんまり指導上そんなに困ることもなく、すんなりできたんですけれどもね。おうちではなんか面接のこととかお話はされていました?」
母「ノートを1冊作って、“こう聞かれたことはこう答える”っていうのを、もう夏から面接までに結構溜め込んでずっと…。」
倉田「ああ、作っていましたか。」
母「はい、作っていましたね。」
倉田「面接ってやっぱりどれだけ事前準備するかで決まるので。答える内容を原稿にして、丸暗記するのはよろしくないんですけれども、ただ何を聞かれるかわからないので、“想定できるテーマをとりあえずたくさん拾い上げて、それに対する自分の考えをまとめておいてくださいね”っていう話はしていたんですけれど。実は、それをちゃんとやってくれる人っていうのは少ないんですよね。」
母「そうなんですね。」
倉田「あの、わかっていてもめんどくさいんで。想定問答集じゃないですけど、“こういうときはこう答えるこんなことを聞かれますよ”っていう一覧だけ渡しているんですけど、それについては皆さんやってくれるんですけれど。なんていうか、たとえば“テレビとか新聞とか、いろいろニュースを聞いていて、進む学部とちょっとでも関連するようなキーワードがあればそれを拾って、とにかくネタを作れ”と。“ネタ帳を作っておいてね”っていう話はずっとしているんですけれど。まあそこをその通りやってくださる人ってわりと少ないんですね。そういう意味では山中さんはちゃんとやってくれていたっていうことですかね。」
母「そうですね。ニュースも、あるニュースを、そのアプリを落としてそれを見るっていうのも結構繰り返しやって。疑問に思うことは全部、たぶんノートで質問から答えっていうのは、もう何言われても答えられるように、結構、その点だけは完璧にやって臨みました。」
倉田「それがいちばん大事なんで。そういう意味ではちゃんと指導、指導っていうとおこがましいですけれど、したかいがあったかなと思いますね。」
母「そうですね。」
倉田「弘前大っていう具体的な大学名、志望大学はいつ頃から言われていました?」
母「ちょうど同時期ですね。」
倉田「あの、ご本人に聞いたときもわりと直前じゃないですけど、夏ぐらいにっていう話だったので。」
母「そうですね。」
倉田「それを聞いて、どうでしたか? まあお兄さんの方もちょっと地方に行かれたっていうことなんですけれども。親としては若干寂しい面もあるとは思うんですけど。特にそれはなかったですか?」
母「寂しいより、本人がいちばん成長できる大学とか場所には、もってこいかなと思って。たった4年って言ったらあれなんですけれど(笑)。本人も、人生のなかで4年って逆に短いので、そこはちょっと成長したいっていう意味で地方に行くのには全然、抵抗はなかったですね。」
倉田「そうですね。まあ、あとは“青森っていうかリンゴが好きだ”みたいなことをおっしゃっていましたけど(笑)。おもしろいなと思いながら聞いていましたけど。」
一同「(笑)」
倉田「今のはまあ、かわいい感じでしたけれども。あと一つは学べる内容が、本当のところは、自分が学びたいことが本当に研究できる大学っていうのはそんなに多くなくて。で、そのなかで、“弘前大のある先生の研究がすごく自分に合っている”っていうふうにおっしゃっていたので。まあその自分の将来、将来像と、行く大学っていうのがわりとピタッと合っていましたから。」
母「そうですね。」
倉田「そういう意味では、面接っていう面では、“まぁ全然大丈夫かな”っていうか。そこのいちばん大事なところをクリアしていましたのでとは思いました。あとは、ご本人でないのでわからないかもしれませんけど。話が少し遡るんですけれど、予備校選びっていうときに、まあもちろんお兄さんが通われていたっていうのは大きいとは思うんですけど、なにかこう『多磨高等予備校』に自分の娘を預けようって思ったきっかけとかありますか?理由っていうか…。」
母「結構親密に話も聞いてくれるし、その大人数でっていう感じは、ちょっとうちは合わないというのは、兄と同じなんで。個性的なんで二人とも(笑)。それで合った授業とか考えると ここしかないって思って決めましたね。」
小村「では、お母様が来てくださった5年半前で、あの思い出しました!山中くんの入学時期はね、夏です。高3の夏だったと思います。覚えていないかと思うけれども。」
母「部活が終わる前に入った。」
小村「だと思いますよ。」
山中「ああ。」
小村「当時の記録を今なんとなく思い出したんですけどね。」
母「そうですね。」
小村「それでまあ、そうは言っても4年で大学は…。大学院に行かれたのかな?」
山中「そうです。」
小村「あ、大学院に行かれた!マスターですね。」
山中「そうですね。」
小村「それが今年2年目でしょう?」
山中「はい。」
小村「そうですよね。差し障りない範囲で大丈夫です。プライバシーもあったらいけないので。就職がもう決まっているわけでしょう?」
山中「はい。」
小村「就活なんかは、大変でしたか?」
山中「就活は大変でしたね。」
小村「ああ、そうか。あの、コロナでね。特に航空業界とか、旅行業界なんていうのは、採用抑制しているって、新規採用ゼロとか聞きますもんね。就活にとっては厳しい方に向いたんでしょうね。差し障りなければどんな?」
山中「種苗関係。」
小村「シュビョウ関係?」
山中「植物の種とか。」
小村「ああ!植物の種ね。勉強したことをそのまま活かせるんですよね。」
山中「そうですね。」
倉田「そうか。まあ一般論でね、文系は多くの場合、大学で勉強したこと、使わないんです。で、理科系の生徒さんの場合は大学で勉強したことを使うケースが多いので、そういう意味では、いい大学生活でしたよね。」
山中「はい。」
小村「お母様、おめでたいですよね。お兄ちゃんの就職が決まって。」
母「ほっとしました。」
小村「ですよね。あのときに話したのを思い出したんですがね、ご両親のご実家が愛知県って伺いました。進学先でなくて就職先も、近いところになるんですか?」
山中「そうですね、愛知ですね。」
小村「愛知県ね。それじゃあもう、本当にご実家の近くかもしれない。」
山中「そうですね。ちょっと…30分ぐらい、離れたところなんですけれども。」
小村「30分ね。おじいちゃん、おばあちゃんもお元気でしょう?」
山中「はい。」
小村「そりゃあ、うれしいよ!私、いちばんの楽しみは、今娘が18と19なんですけど、あの小さかったときが人生でいちばん幸せでしたので、あれがまた孫で見られるかなと思ったらもう、すごく楽しみなんですよね。」
母「そうですよね。」
小村「“晩年は孫の子守りさせて”っていつも言ってるんです。そんな話になったんで申し上げます。私、子どもが大好きでして。本校の基本理念っていうのは、あのときもお伝えしたかもしれません。『幸せ五則』と申します。『合格による生徒の幸せ』、当然ですよね。で、それはもうイコール『ご家族・ご両親の幸せ』です。そして、同時にそれは『私たちの幸せ』でもあります。だからこんなところにお呼び立てして、ニコニコ笑って話ができるわけですよ。でね、4番目はその、山中くんなり妹さんなりが国立大学に合格して、私大でももちろんいいんですけれども、“あそこへ行くといいぞ”と、“ちゃんと志望大学に入れるぞ”といって、皆が来てくれますね。そうやってあの、うちの家族は食べて行かれるんですよ。4番目は『講師・教職員の家族の幸せ』です。で、そうした小さな幸せが集まったものが『社会の幸せ』だっていうふうに思っています。政治家がね、上から税率を何パーセントにするとか、コロナの助成金を出すとか、いろんなことをしてくれるんです、それはそれでありがたいんですけれども、やっぱり一人一人と家庭の食卓の笑顔が、社会の幸せを作るというふうに思っています。みんな、自分が幸せになって、人の幸せも喜べるので、人の幸せを自分の幸せより先に喜ぶ人っていうのは、少ないんじゃないかなって思うんですね。堂々と幸せになったらいいし、そのために大学に行って、行きたい就職先に行って、そこでおそらく好きな人が見つかって、恋をして、家庭を持って、子どもが生まれて、“立てば這え、這えば歩けの親心”で、大きくなって 命のバトンを渡して、次の新しい幸せな時代がくると思うんですね。そんな思いで仕事をしてます。本にも書きました。そんなことを今話せてやっぱり良かったなって、思っています。最後に、山中くん、お母様、倉田さん、なにか付け加えることがあったらお話しいただいて、終わりとしたいと思います。どなたからでも大丈夫です。お母様なにか?
母「面接のこと、ちょっとお話ししても大丈夫ですか?」
小村「どうぞ、お願いします。」
母「面接は結構、圧迫面接だったんですね。」
小村「弘前大学の面接、圧迫面接?」
母「そうなんですよ。圧迫面接だったんです。それで、かなり本人もうショックで。」
小村「そうだったんですね。」
母「達成感ほぼゼロで、もう泣きながら帰ってきたんですね。」
小村「かわいそうに…。」
母「で、絶対無理だって言って。発表までずっともう、すごい暗かったです、実は。」
小村「ああ…そうだったんですか。」
倉田「圧迫面接ね…。最近あまり流行らないんですけど。ただ逆にそこでガンガン言われるっていうのはそれだけ関心があるからっていうことなんで。意外とみんな泣いて帰るんですけど、合格してるんですよ。」
母「あ、そうなんですかね。」
倉田「っていう話も、一応ご本人にもしたんですけどね。やっぱりその場でそういう対応をされると、まずショックは大きいですよね。」
小村「女の子ですしね。」
母「すごい経験だったと思います、でも。今までそんな受験で泣いたこともなかったんで。でもそれが…まあ合格したんで。すごく…喜ぶっていうよりも、もう本当にびっくりですね、本人がいちばん。」
小村「なるほどね。」
倉田「じゃあ今の話を受けて、この対談動画を見ている人ね。推薦を考えている人いると思うんですけれど。たまにあります、圧迫面接。特に医療関係が結構多いんですけど、かなりあの…、下手するとそのパワハラに近いような感じで、人格否定するぐらいの勢いでくる場合もあるんですけど。だからといって、まあ当然落ち込みますけどね、合格する人は合格しているので、ちゃんと圧迫面接されてもそこでめげないで、言えることは全部言っておいた方がいいかなと思いますね。そこであの喧嘩したりすると最悪なので(笑)。それだけはしないように…。」
母「(笑)その想定も必要ですね。圧迫面接来たときの心の準備っていうのが。うちは1ミリも思ってなかったので。すごくショックだったみたいです。」
小村「なるほど。わかりました。理玖くん、どうですか?」
山中「ぼくですか。まあ高校時代に、この塾に入って苦手分野を克服したってことは、結構大学でも役立って…。」
小村「生物ですね?」
山中「いや、国語ですね。生物は、好きなことは嫌にならないから永遠にやり続けるんですけれど、嫌いなことに対してどう向き合うかっていうのが、すごい役に立って。大学の授業でも、いろんな授業するんですけど、同じ生物の中でもたとえば物理とか化学系とか、そういう自分のあまりやってこなかった分野もわりと授業では多く扱って、そういうときに地頭というか、理解能力がすごい良かったら、すんなりその授業の単位を取ることができるんですけど、やっぱりそういうわけにもいかず、授業に置いていかれて。で、周りに助けてくれる人がいなかったときにどう向き合うかっていうのが、やっぱり今まで自分がどういう勉強をしてきたかっていうのが大事だと思っていて。まあそこで、その苦手な分野に対して、どんないいところを見つけてどういう解決策を探すかっていうのが、すごくここの『多磨ヨビ』で学んだ“苦手分野を克服する”っていうところが役に立ったなって思いますね。
小村「たしかに。人間でも科目でも、苦手なものってありますもんね。」
山中「はい。」
小村「私の知人があの“小村さん、給料っていうのは人間関係の慰謝料だな”なんて言っていたことがありますけれども(笑)。苦手な国語を克服して、それが大学の勉強でも活きたってことですね。」
山中「そうですね。」
小村「ありがとうございます。倉田さん、なにか?」
倉田「はい、特には。」
小村「はい、それでは、本当にあの5年半ぶりにお母様に、山中くんに、お会いできて、とてもうれしく思いました。今日はどうもありがとうございました。」
一同「ありがとうございました。」